新井義也について

この手記の作者である 父 新井義也は大正十五年一月一五日、新宿区柏木(現在の北新宿)に生まれた。

國学院大学二年生の時、結核を発病し、東京都東村山にあった結核療養所、保生園(現在の新山手病院)に入院した。本手記は昭和二十一年~二十五年に於ける闘病生活を本人が記したものである。

当時、未だ死病と称されていた結核によって命を落とし、天国街道を無念に昇ってゆく療友達の姿、死と常に隣り合わせの生活の中にありながら、生き生きと命の炎を燃やし続ける人々の生き様は、当時二十を過ぎたばかりの父にとって凄絶な出来事であった。それが、その後の父の人生哲学及び死生観を築く礎となってゆく。

父は昭和二十五年に結核を完治させ療養所を退院し、戦災で焼けた神社を再建、昭和三十一年には隣接する保育園を開園させた。その後は新宿区民生委員、保護司などの地域の職務を精力的にこなしていった。

昭和五十年、心筋梗塞により倒れ、その後十六年に渡り入退院を繰り返す生活を送った。度重なる発作に悩まされながら、自由の効かぬその身と、双肩に背負った数々の責務に対する重圧の狭間の中で、神職者としての立場から、常に真摯な心で死と生に向かい合ってきた。

晩年は、量子論、脳科学、宇宙誕生の領域まで踏み込み、世界情勢、世界宗教等を総括しながら独自の死生観、宗教観を確立していった。作者が記したあとがきには、その信条が記されている。

平成四年四月八日、満開の桜が舞い散る中、父は都内の病院にて永眠した。享年六六歳であった。

(丸田 洋子)



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