公開にあたり
「天国街道」は新井義也(1992年に心筋梗塞にて死去)の実際の闘病生活を記した手記でありますが、戦後間もないころの結核医療の状況や結核療養所「保生園」での生活が詳細に記されており、結核予防会や保生園関係者(現 新山手病院、患者組織「保生会」)のご協力のもとで2006年10月に英治出版より出版させていただきました。このとき出版社とは、「書籍としての一定の役割が済んだ後、歴史資料としてパブリックドメインに全文公開する」ことがアイディアとしてでておりました。
出版後は保生園関係者を通じてお知らせするとともに、医療機関や地域の図書館にも寄贈させていただきました。読者からお手紙をいただくなどの反響もいただきましたが、出版から10年以上が経ち、書籍としてはある程度の役割は果たしたと考えております。この機会にかねてからのアイディアであった「天国街道の全文公開」を行い、結核予防に資することは出版の本来の意味に沿うと思い、公開の準備を進めてまいりました。
公開にあたり改めて「天国街道」を読み返してみますと、現在の状況と類似性があるように感じます。
当時は『ペニシリンはまだ噂の中にのみ存在する薬で、多くの人はその存在すら知らなかった』状況であり、基本的治療は肺機能の一部を犠牲にすることで病巣を抑制し、自己免疫で結核菌と戦うものでした。つまり自己免疫力のみがほぼ唯一の治療法であったと言えます。
その自己免疫は、現代ではストレスや悲観的な感情で低下することが広く知られており、抑制的な環境でも笑いや会話を絶やさないことが重要と言われています。保生園には世代を超えたコミュニケーションがあり、演劇や出版などの文化活動があり、闘病以外の多様な活動が行われていました。筆者が語るように、『全くここの住民は、私の想像を超えて驚く程に楽天的』でした。このことは自己免疫で結核と戦う患者にとって、大きな力になったと思われます。
また当時は病院でも物が不足している時代でしたが、『そんな状態の中でも医師たちの医学への情熱は高く、従来的な気胸療法に加えて、最新の治療法である胸郭成形手術をこの病院でも始めようとしていた』とあります。筆者の主治医でもあった若い大澤医師も、時にあからさまに狼狽しつつも、結核と患者に正面から向き合っています。
このように、目に見えぬ死病との闘いで、免疫力がほぼ唯一の治療法であること、その免疫力を高めるような闘病生活がおくられていること、そして医療関係者が献身的に治療に当たられていることは、現在の状況に重なるものがあるように思えます。
この機会に、病気の種類は違えど、結核という死病との闘いの記録として公開することは一つの意味があると考え、英治出版の許可を得て、ここに全文を公開いたします。この手記が歴史資料として、また願わくば感染症との闘いにおいて何かの参考となれば誠に幸いです。
2020年5月 丸田 昭輝・洋子