新井義也によるあとがき

(これは書籍「天国街道」の編集上の制約から割愛した、新井義也による本来のあとがきです)

死と生と―結核について

科学と宗教

長い戦いと、戦後の悲惨な時の中を生きた人々の中には、手術の恩恵に浴する事の出来ないほどに、進行した病気を持った人々も多い。ペニシリンが神話の中から、吾々の手の届くところまで下りて来て、手術に伴う化膿が急速に減少してきたとは言え、表門から入院して裏門から退院するという話が、遠慮がちながら未だ罷り通っていた時代である。

保生園には、プロテスタント、カソリックに分かれて、それぞれにキリスト教信仰の集いがあった。その他の宗教教団の活動は余り活発ではなかった。

死は誰にでも必ず訪れてくるものではあるが、公平ではない。社会の中には幸と不幸、苦と楽、貧者と富者の矛盾がある。

この世を仮の世として来世の幸せを約束するのも、或いはこの矛盾を罪のことして贖罪し、天国に生きることを説くのも、人々の心に平安を与えようと努める宗教家の姿であろう。カトリック教の神父達は、大変熱心にこの事に対応している。

真理は一つであって、二つあっては可笑しい。円錐形の富士山も静岡側と山梨側とでは姿が違っている。科学の立場と宗教の立場とでは、死に対しての認識は異なって当然だが、絶対に相容れない矛盾というものはあってはならないと考える。

中世において、キリスト教会は天動説の誤りを証明した学者を処断した。しかし二十世紀は大いに生命科学が進歩して、人間の肉体に於ける秘密の部分が次々と明らかにされ、従来、神の分野に属する遺伝子の組み替えも、可能になった。さらに医学は、脳の様々な不思議をも解明してきている。

人間が人間である為の要素「心」に関係する脳神経細胞の働きも、この細胞を構成する分子、イオン、電子、電磁波の相互作用まで人類は解明して来ている。

原始より「有った」生命

この宇宙に、生命という存在は、いかにして誕生したのであろうか。

宇宙はエネルギーの塊りから始まり、やがて単純な水素原子できた。それが集合し、球状星団のように星の集団を造り、老いて爆発し、カニ星雲のようにその細片の微塵が更に重力により集まり、第二世の星を造る。これが輪廻して現代の宇宙を形成しているといわれる。吾が太陽系は此の第二世星の集まりである。

地球は他の惑星と同じように、星の成長の過程で、大気をつくり、水をつくった。ほどよい太陽と地球との距離により、太陽の熱はその水をすべて蒸発させる程に強烈ではなく、豊かな海をつくった。酸素の一部はオゾン層となって柔らかく地球をつつむ。

こうした環境と海の持つ水圧の中から、炭素は有機物である植物を生み出しつつ、その生活の中から、蛋白質で構成される生物を産み出して来たと考えられる。

海は「生み」であり、地球上全ての植物、生物の母である。そして驚くほどの長い時間の積み重ねの中で、今吾々の見る事の出来る世界が出現したのであると想像されている。

人間は、地上で脳の中に複雑な思考を司る特別な部分を持っている唯一の動物であるが、その有限な存在である人間の肉体を構成しているのは何億の細胞である。一個一個の細胞は更に微小の極限である原子から成り、さらに原子は素粒子から成り、素粒子はクォークと呼ばれる微小な存在から成る。このクォークを通して人間は、無限の宇宙の中に溶け込み、同じ無限の存在となる。

よって生命は、生が発生した時、無から造られたのではなく、初めから「有った」ものが、「生」、即ち物質という形を形成して、客観的に表現されたと理解すべきである。生は死に対して云う狭義の「生命」であり、広義の「生命」は生死を超越したものと考える。

言葉(コトバ)と命(ミコト)

吾々の祖先は本能としてこれを知り、「気」と名づけて、神はこの中に存在すると信じた。

キリスト教では、新約聖書ヨハネ伝福音書第一章第一節に「太初に言あり、言は神とともに在り、言は神なりき」とある。

神道では命(ミコト)と云う字を、死を迎えた人の全てにつけている。「ミ」は尊称であり、「コト」は言葉のコトであり、言霊(ことだま)の幸あう国の「コト」と同じであろう。これに吾々が命(メイ)、即ち「イノチ」と云う漢字をあてているのも、関連していると思われる。

古事記の初めに、「天地(アメツチ)ノ初発(ハジメ)の時、高天原に成ります神の名は、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、此の三柱の神は、並(ミナ)独り神成りまして身(ミミ)を隠しまひき」とある。浮(ウキ)脂(アブラ)の如きものから立登る存在を「ウマシアシカビ」と名づけ、天の常立(アマノトコタチ)を加えて五代の別天神(コトアマツカミ)といって宇宙根源の神とする。この神々は目にはみえないのである。つまり実体はない。

ところが此の天神(アマツカミ)は、国生みにあたり岐美二神の問いに対して、直ちに自ら答える事をせず、「先ず太古(フトマニ)に卜相(ウラナ)えて詔り賜う」とある。天地初めの時、別天神(コトアマツカミ)の以前に神があったという事であろう。

御中主と高神二神の造化の三神が、国神(クニツカミ)を「ツクッタ」と云う思想は、無から有を創造したのではなくて、「修理固成(ツクツタ)」とする。即ち「成る可かりし既有の原質をして成らしめた」と云う意を示すものである。生命は、初めから「有った」と考えられるのである。

「ミコトバ」だけを示す存在

吾々日本民族と異なる他の民族は、人の生をどう認識して来たのであろうか。

中国の道教(中共支配の本土では迷信として廃されているというが、台湾ではまだ強い信仰基盤となっている)では、宇宙の本体は全てのものの根源であり、これを「道」といった。道は無で、無から一ができ、三元、三気、三才と変化、万物が出来たという。しかし不死、不老の道などに走り、堕落、亡びたものもある。

印度(インド)のヒンドゥ教は、バラモンに於ける因習の上にたって霊魂不滅を認め、人は輪廻により支配されるが、宗教によってのみ輪廻から解脱すると説く。

仏教には「空(クウ)」という思想がある。これは事物の否定ではなく、存在する当初をさしたもので、般若経典により「空(クウ)」の積極的表現化に努力がはらわれる。

東洋を離れて西洋に目を向けて見ると先ず、ユダヤ教は旧約聖書の「モーゼの十戒」を律法とし、ヤーウェを唯一絶対の神として、世の末にユダヤ人の中からメシアが現れ、神の国が地上に実現するという。

キリスト教ではイエスがメシアであるとするが、ユダヤ人はこれを認めずに十字架にイエスをかける。キリスト教は、人間は原罪をもって生まれ、洗礼と信仰によって救われると説く。イエスは自ら十字架にかかることにより、神の子キリストとなって甦り、人々の魂の救い主となる。

イスラム教は唯一神アッラーが、預言者マホメッドを通じて啓示した「コーラン」により信仰を強く律してゆく。イスラム教はユダヤ教、キリスト教の影響を受けているが、マホメッドは預言者モーゼやイエスのあとをうけて、神の予言の締めくくりをなすものであって、もっとも偉大であり、神の教えをそれだけ正しく人々に伝えるものであるとされる。そしてイエスとは違い、マホメットは人間であり、絶対に神と混同してはならないと教えている。

いずれの宗教を概観してみても神が存在し、世界は神の「意志」と「規律」によって動かされているという。神が先か、人間が先かは後世の判断に任せるとして、祈りや祀りは、人々の信ずる各宗教の教義に随(したが)うも、また称える神の名が異なってはいたとしても、その実態は一つであると考えることは出来ないだろうか。何故なら神は姿を現すことなく、大いなる宇宙の根源に存在して、祈る者の全てに「ミコトバ」だけを示すものであるからである。

多神教と言われる宗教においても、根源の神は一つである。神の持つ全能の力の一つ一つを別けて、その一つ一つに神のよりどころをしつらえ、神格をあたえて祀るのである。

宗派を超えて

一神教と多神教の違いも、厳格に唯一の神にこだわる西欧文明特有の合理性と、自然現象への畏怖や死への恐怖などを敏感にとらえ、それに対応する神々を拝する東洋人の持つ感性との違いだけではないだろうか。そしてこのような理解が、他宗への寛容につながる。

頑なに己の神のみを信じ、他を排除しようとする信仰の戦いは、人類の長い歴史の中で多くの血を流して来た。このことだけは二一世紀にまでもちこまないようにしたい。

入院にあたっての身上質問の中に、「あなたの宗教は?」というのがある。数多い割合で、この質問に戸惑う人が多いと聞く。「困った時の神頼み」、日本人の信仰はおおらかである。

私はそれでいいと考えている。

(新井義也)

「死と生と―結核について」をまとめるにあたり

この小論は、新井義也が心臓病で他界する直前の平成四年前に書いたと思われる、「天国街道」の本来のあとがきです。保生園で結核を克服し、その後は神職を全うした著者の、日本人の宗教観と死生観がつづられています。

あらためて読み返すに、故人が考える宗教観が明確に示されており、「天国街道」のメインテーマにもつうじていることを感じます。

結核が死病と呼ばれていた当時の保生園は、結核治療という医学(科学)の機能と、死者として裏口から出て行くことを待つホスピスの機能が同居していました。またキリスト教から共産党シンパまでの、多様な宗教と思想を有する患者・スタッフが生をともにした場所でした。

すべての宗教が観ているものには基本的に同じであり、また科学と宗教は矛盾するものではない、という故人の思想の背景には、この保生園での体験が反映されています。

     ※  ※  ※

「故人の意思を継ぐ」という表現があります。「天国街道」の編集と出版の作業では、その「意思」というもの存在を感じることがたびたびありました。

平成一八年の夏、編者は「天国街道」が現在はどうなっているかを確認するために、保生園配置図を片手に八国山緑地の小道を歩いているとき、通常では考えられないような経験をいたしました。その経験は、今、立っている小道が間違いなく「天国街道」であると確信させるとともに、故人の「意思」、あるいは無念にも「天国街道」を登っていった方々の思いを強く感じずにはいられないような瞬間でした。

(丸田 昭輝・洋子)



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